アップサンプリングで音は良くなるのか。フィルターの選び方(直線位相・最小位相・タップ数)
著者 Taiki NodaSonir Bench 0.1.62で確認(2026-10-15)
アップサンプリングは音源に無い情報を足さないので、それだけで音が良くなることはありません。変わるのは、サンプルの間を埋める補間フィルターの設計(どこから落とすか、位相をどう扱うか、どれだけ長いか)と、EQや歪みの処理をどのレートで行うかの2つです。良くも悪くもなるのはこの2つで、フィルターが甘ければ音質は劣化します。
アップサンプリングで起きること
サンプルの間にゼロを挿入すると、イメージ(鏡像成分)が現れる
44.1 kHzの音源を16倍の705.6 kHzへ上げるとき、最初に行うのは元のサンプルの間に15個ずつゼロを挟むことです。サンプルの数は16倍になりますが、この時点の信号には、元の音楽の上に「鏡像」が並んでいます。44.1 kHz、88.2 kHz、132.3 kHz…の前後に、元の0〜22.05 kHzの中身が折り返した形で写っているのがそれで、イメージと呼びます。
第1イメージは「元のレート − 音楽の最高周波数」から現れます。たとえば44.1 kHzの音源で音楽成分が20 kHzまで含まれていれば、24.1 kHz以上の帯域にイメージが現れます。
補間フィルターがイメージを消す
このイメージを低域通過フィルターで消すと、ゼロを挟んだ場所が滑らかな値で埋まり、高いレートの信号になります。これが補間フィルターです。アップサンプリングの品質は、ほぼこのフィルターの品質と言えます。
フィルターに求められることは2つです。
- 音楽の帯域(たとえば20 kHzまで)を平らに通す
- 第1イメージから上を、十分に深く落とす
この2つの間の隙間を遷移帯域(遷移幅)と呼びます。44.1 kHzの音源では20 kHzから24.1 kHzまでの4.1 kHzしかなく、ここで120 dB落とすには急峻なフィルターが要ります。
音質は良くなるのか? 実際のところ
情報は増えない
アップサンプリングで作られるのは、元のサンプルから計算した値だけです。22.05 kHzより上の音が録音に入っていなかったなら、705.6 kHzにしても入っていないままです。「ハイレゾ相当になる」という説明は正しくありません。
変わりうるのは2つ
それでもアップサンプリングで音が変わりうる理由は、次の2つです。
- 補間フィルターを選べる。 一般的なΔΣ型のDACは、受け取ったPCMをチップの中でさらに高いレートへ上げ、そこで自分の補間フィルターを掛けています。高いレートで送れば、DACの内蔵フィルターが働く帯域は可聴帯域から遠くなり、可聴帯域の近くを決めるのはPC側のフィルターになります。つまり「どのフィルターで補間するか」を自分で選べるようになります
- 処理のレートが上がる。 EQ、歪み、サチュレーションなどの処理を高いレートで行うと、非線形処理で生まれた倍音が可聴帯域へ折り返しにくくなります(後の節で説明します)
1つ目のフィルター選択については、万人に共通する「唯一の正解」が存在しないという点に注意が必要です。また2つ目の恩恵は、何らかの信号処理を行う場合にのみ得られるものです。DSP処理を行わずに同じレートのまま出力するのであれば、アップサンプリングによって得られるメリットは大きくありません。
音質が劣化する場合
アップサンプリングで音質が劣化するのは、主に次の場合です。
- イメージの抑圧が足りない。 残ったイメージは、元の音と関係のない周波数に現れます。とくに、そのあとで再びレートを下げると、残っていた成分が可聴帯域へ折り返して「掛けた覚えのない音」になります
- 補間でピークがクリップする。 サンプルの間を滑らかに埋めると、元のサンプルより大きな値(インターサンプルピーク)が出ることがあります。0 dBFS近くまで詰めた音源を余裕のない形で処理すると、ここでクリップします
- 超音波が増えて後段に負担を掛ける。 高いレートで出すと、可聴帯域の外にある成分がそのままDACやアンプへ届きます。機器によっては、これが歪みの原因になります
フィルターの設計で防げるのは1つ目で、その目安が阻止域の減衰量です。
フィルターの選び方
フィルターを選ぶ軸は、通過帯域と阻止域、位相、窓、タップ数の4つです。それぞれ何をトレードオフにしているのか(何を妥協し、何を得ているのか)を見ていきます。
通過帯域と阻止域(遷移幅)
フィルターはまず「どこまで平らに通し、どこから先を落としきるか」で決まります。阻止域の下端を第1イメージの開始位置(元のレート − 通過帯域の上端)に置くのが基本の形です。
通過帯域を20 kHz、阻止域の減衰を120 dBにした直線位相のフィルターは、Sonir Benchの既定の設計では次の大きさになります。
| 入口 | 内部 | 通過帯域 | 阻止域の下端 | 遷移幅 | タップ数 | 遅延(片側) |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 48 kHz | 768 kHz | 20 kHz | 28 kHz | 8.0 kHz | 769 | 0.50 ms |
| 44.1 kHz | 705.6 kHz | 20 kHz | 24.1 kHz | 4.1 kHz | 1,345 | 0.95 ms |
44.1 kHz系は、48 kHz系に比べて遷移幅が約半分しか取れないため、タップ数が約1.75倍になります。ナイキスト周波数(レートの半分)が20 kHzに近いという、レートの位置そのものから来る差なので、実装をどう工夫しても消えません。
遷移幅を広げると、フィルターは短く緩やかになります。たとえば遷移に4.1 kHzではなく6 kHzを使うと、44.1 kHzの入口でタップ数は1,345から929へ減り、インパルス応答は3割ほど短くなります。代わりに20 kHzではなく16 kHzあたりから落ち始めます。可聴帯域の高域端をわずかに削る代わりに、カットオフ付近のリンギング時間を短くするというトレードオフです。
阻止域の減衰は、24bitの量子化の細かさ(約−144 dB)に対して余裕のある120 dBを既定にしています。この設計を実際に測るとイメージ抑圧は−119 dB前後で、狙いどおりの深さが出ています。
直線位相と最小位相(プリリンギング)
フィルターの位相の扱いは、大きく2つに分かれます。
| 直線位相 | 最小位相 | |
|---|---|---|
| 位相 | 帯域の全体で位相がずれない | 周波数によって位相が回る(カットオフに近い高域ほど大きい) |
| 遅延 | 全帯域で一定の遅れ(純粋な遅延) | まとまった遅れを持たない |
| インパルス応答 | 前後対称。本体の前にもリンギングが出る(プリリンギング) | プリリンギングが出ない。リンギングは本体の後ろにまとまる |
プリリンギングは、急峻な直線位相フィルターの宿命です。インパルスの前に、カットオフ付近の周波数の小さな揺れが現れます。自然界の音は鳴る前に揺れないので、これを嫌う人が最小位相を選びます。一方の最小位相は、プリリンギングが無い代わりに、高域の位相が周波数によってずれます。
どちらが良いかは、聴いて決める種類の問題です。言えるのは次のことです。
- リンギングの周波数はカットオフ付近(44.1 kHzの音源なら20〜22 kHz付近)に現れますが、その帯域に音の成分が含まれていなければ、リンギングが目立つことはほとんどありません
- 直線位相の遅れは全帯域で同じなので、音そのものは変えません。困るのは映像とのずれと、再生操作への追従の遅れです
- 補間フィルターが作るプリリンギングを消せるのは、補間フィルター自身だけです。補間のあとに別の最小位相フィルターを足しても、補間で付いたプリリンギングは残ります
Sonir Benchが既定に直線位相を選んでいるのは、経路が信号の位相を変えないことを保つためです。最小位相は、同じ通過帯域と阻止域のまま位相だけを変えた設計として選べるようにしています。
窓とアポダイジング
窓
FIRフィルターを設計するとき、理想のフィルターの無限に長い応答を有限の長さで切ります。そのときに掛ける重みが窓です。窓によって、同じタップ数で届く阻止域の深さと急峻さが変わります。
| 窓 | 阻止域の深さ | 性格 |
|---|---|---|
| Kaiser | 指定した減衰量から決まる | 同じタップ数なら最も深く鋭い |
| Gaussian | 指定した減衰量から決まる | 同じ設計ならタップ数は約2倍。阻止域は約3.5 dB浅いが、中心から離れた裾は約7 dB低い |
| Blackman-Harris | 約−92 dB | 減衰量は固定 |
| Blackman | 約−74 dB | 減衰量は固定 |
| Hamming | 約−53 dB | 減衰量は固定 |
| Hann | 約−44 dB | 減衰量は固定 |
減衰量が固定の窓は、タップ数を増やしても阻止域が深くなりません。HannやHammingでは、アップサンプリングに必要なイメージ抑圧に届かないので、補間フィルターの窓としては向きません。
アポダイジング
アポダイジングは窓とは別の話で、通過帯域の上端を音源のナイキスト周波数より手前に置き、ナイキストで落としきるフィルターのことを指します。狙いは再生経路ではなく、音源にすでに入っているリンギングです。録音やマスタリングで使われたブリックウォールのフィルターは、ナイキストのすぐ下でプリリンギングを残しています。アポダイジングはその帯域ごと落とし、リンギングの元になる成分を減らします。
44.1 kHzの音源で、上端より2.5 kHz下から落とし始めて上端で落としきる設計にすると、遷移は19,550〜22,050 Hz、−6 dB点は20.8 kHzになります。遷移が狭くなるので、タップ数は1,345から2,209へ、遅延は0.95 msから1.56 msへ増えます。
注意点が2つあります。1つは、20 kHz付近を削ることです。もう1つは、効くのは音源のレートが44.1 kHzや48 kHzのときで、88.2 kHzや96 kHzの音源では落とす位置が40 kHz台へ上がり、可聴帯域には何も起きないことです。
タップ数と遅延
タップ数は、フィルターの長さです。タップ数が多いほど、同じ窓で遷移を急峻にでき、阻止域を深くできます。
直線位相のフィルターの遅延は、タップ数の半分です。705.6 kHzで回す1,345タップなら約0.95 msですが、長くすると次のように伸びます。
| タップ数(44.1 kHzの入口) | 遅延 | イメージ抑圧(実測) |
|---|---|---|
| 1,345(既定) | 0.95 ms | 約−119 dB |
| 524,289 | 約371 ms | 約−172 dB |
| 約1,048,000 | 約0.74 s | - |
524,289タップは、既定の約390倍です。帯域の端は同じでも、この長さでは遷移が要求よりはるかに狭くなり、実質的に音源の最高周波数ぎりぎりに立つ急峻なブリックウォール特性となります。「タップ数が足りるほど理想の帯域制限に近づき、過渡音の時間位置が正確になる」という考えで長いフィルターを使う人がいるのは、このためです。
ただし、長くすることの代償ははっきりしています。
- 遅延。 直線位相なら音は変わりませんが、0.4秒近く遅れると映像とは合わず、再生や停止の操作も遅れて効きます。音楽を聴くための設定です
- CPU。 長いフィルターは、FFTを使った畳み込みでも1コアのかなりの割合を使います。足りなければ音が途切れます
- 聴こえるかどうか。 抑圧性能が−119 dBから−172 dBへと向上したとしても、その差を人間の耳で聴き分けられるかどうかはまた別の問題です。音量を揃えて聴き比べて決めるのが確かです
最小位相のフィルターは、まとまった遅延を持たないので、長くしても直線位相のような一定の遅れは生じません(遅れは位相のずれとして周波数ごとに分かれて現れます)。長いフィルターを最小位相にするなら、上限を決めるのはCPUです。
内部を705.6k / 768kで回す理由
Sonir Benchは、44.1 kHz系の音源を705.6 kHz(16倍)、48 kHz系の音源を768 kHz(16倍)へ上げてから、EQやエフェクトの処理を行います。理由は非線形処理の折り返しです。
サチュレーションや倍音付加のような非線形処理は、入力に無い倍音を作ります。44.1 kHzのまま処理すると、22.05 kHzを超えた倍音は可聴帯域へ折り返します。たとえば5 kHzの音の5次倍音(25 kHz)は、19.1 kHzの音として戻ってきます。これは元の音と倍音の関係を持たない音なので、耳につく歪みになります。
705.6 kHzで処理すれば、ナイキストは352.8 kHzです。1 kHzの音なら350次あたりまでの倍音が折り返さずに収まり、処理のあとで可聴帯域より上を落とせば済みます。これより上げても、可聴帯域で得るものはほとんど残らないと判断して、16倍で止めています。
44.1 kHz系と48 kHz系を分けているのも同じ考えです。705.6 kHzは44.1 kHzのちょうど16倍、768 kHzは48 kHzのちょうど16倍なので、どちらも整数倍の補間で済みます。系をまたぐと整数でない比の変換が要り、設計の前提が変わります。
192kHzまでのDACでも高いレートで処理する意味
DACが192 kHzまでしか受けなくても、内部を705.6 kHzで回す利点はそのまま残ります。処理はすべて705.6 kHzで行い、レートを下げるのは最後に一度だけだからです。前の節の非線形処理の折り返しは、出力のレートとは関係なく防げています。
出力のレートを上げると、出口でレートを下げるフィルターも楽になります。出口のフィルターの阻止域は「出力レート − 通過帯域」から始まるので、44.1 kHzで出すときの遷移幅が約4 kHzなのに対して、176.4 kHzで出せば100 kHz以上取れます。遷移が広いフィルターは短く、緩やかで済みます。
ただし、出力のレートを音源より上げると、可聴帯域の外にある成分もDACへ届くようになります。高いレートで出すかどうかは、DACが受けるレートと、そこに超音波を送ってよいかで決めてください。DACが受けないレートを選んでも、音は出ません。
よくある質問
アップサンプリングで音質は劣化しますか
イメージの抑圧が足りないフィルターや、ピークの余裕を取らない処理では劣化します。阻止域で100 dB以上落とすフィルターを、十分な余裕を持った計算で使えば、可聴帯域の音を損なうことはほとんどありません。
直線位相と最小位相はどちらが良いですか
一つに決まる答えはありません。直線位相は位相を変えない代わりにプリリンギングが出て、最小位相はプリリンギングが無い代わりに高域の位相が回ります。同じ帯域の設計で位相だけを変えて、音量を揃えて聴き比べるのがよい方法です。
タップ数は多いほど良いですか
多いほど遷移を急峻にでき、阻止域も深くなりますが、直線位相では遅延が伸び、CPUの負担も増えます。既定の1,345タップでもイメージ抑圧は約−119 dBあるので、それ以上のタップ数は、実際に聴いて音の違いを感じ取れるかどうかで判断すべき領域です。
Sonir Benchでできること
0.1.62で確かめた内容です。
Sonir Benchは、すべての音を705.6 kHz / 768 kHzへ上げて処理し、DACが受けるレートで出します。
- 「リサンプル設計」で、通過帯域、阻止域、窓、位相(直線位相・最小位相)、タップ数を選べます。入口段は約100万タップまで設定でき、群遅延とCPU負荷の見込みが保存の前に表示されます
- 直線位相(標準設定と同じ)、最小位相、アポダイジング、緩いロールオフ、非常に長い直線位相のテンプレートから始められます
- 「出力レート」で、入力と同じレートから内部の2倍(1411.2 kHz / 1536 kHz)まで選べます。出力を上げたときは、モニターの「帯域外ノイズ」が阻止域を監視します
出力レートの決め方はDACに合わせて出力設定を決める、各項目の意味はリサンプル設計と解かれかた、聴き比べ方は音を作って聴き比べるを見てください。